台風の厄日?「二百十日」とは 秋の台風シーズンに備えよう

この記事では、「二百十日」の意味や由来、風習や厄日と言われてきた真相などについて、詳しく解説します。
雑節「二百十日」とは

雑節の一覧
雑節とは、中国から伝わる二十四節気に加え、季節の変化をさらに細かく示す目印として作られたもので、節分や入梅、土用などもそれにあたります。
二百十日は、立春から数えて210日目の日で、新暦では9月1日頃にあたります。年によって1日前後する場合もあり、2025年は8月31日です。
この頃はちょうど稲の開花時期にあたり、台風シーズンがはじまるタイミングにも重なることから、風水害による農作物の被害が多かったようです。このため、「二百十日」は、昔から農家にとっての厄日とされてきました。
なお、二百十日以外にも、昔から農家の間では恐れられてきた日があります。雑節で立春から数えて220日目にあたる「二百二十日(にひゃくはつか)」と、旧暦の8月1日(新暦の8月下旬〜9月下旬頃)にあたる「八朔(はっさく)」です。やはり、時期的に台風が多く農作物の被害が多かったことに由来しており、これらはまとめて「農家の三大厄日」と呼ばれています。
【風習①】風を鎮めるための「風祭」

富山県八尾町「おわら風の盆」
とくに有名なのが、富山県八尾町で毎年9月1日〜3日にかけて行われる「おわら風の盆」です。江戸の元禄時代から続く行事で、お揃いの浴衣や法被と編笠を着けた踊り手達が、唄い踊りながら街を練り歩きます。
また、山形県朝日町では、毎年8月31日に「大谷風神祭」が行われます。こちらは江戸の宝暦時代の頃から始まったお祭りで、山車が街中を練り歩き、最後は花火で締めくくります。
そのほか、いわゆる「お祭り」に限らず、奉納相撲や神社での祈念といった行事を行っている地域もあります。
【風習②】「鎌」が風避けのおまじないに?
その一つが「鎌」を使った風除けのおまじないです。昔から鎌には風を鎮める力があると信じられており、鎌を竿につけて庭や軒先に立てたり、神木に打ち付けたりするなど、地域ごとに異なる方法で行われていました。今でも、中部地方など一部の地域では、この風習が伝統として受け継がれています。
文学作品「風の又三郎」にも登場した「二百十日」

「風の又三郎」のモニュメント
二百十日の9月1日、強い風が吹いた日のこと。谷川の岸の小さな小学校に、高田三郎という不思議な男の子が転校してきます。子供達は、彼を風の精である「風の又三郎」が化身したものではないかと噂し始めます。三郎と子供達が交流を深めていく一方で、強い風が吹く度に次々と不思議な出来事が起こります。そして、わずか十日あまりが過ぎ、二百二十日を迎えた直後の嵐の朝、三郎は再び転校していってしまいます。
結局、三郎が本当に風の精だったかどうかは、わからないまま物語は終わります。
この物語の中で、宮沢賢治が伝えたかったことはいくつか考えられますが、子供達が異質な存在である三郎に親しみを感じたり、ときに恐れたりする様子には、自然がもたらす恩恵と脅威、そしてそれらと共生することの大切さといった意味が込められていたのかもしれません。
「二百十日」の頃は本当に台風が多い?

本土への台風の接近数(平年値)
月毎の本土への台風の接近数の平年値をみてみると、9月が最も多くなっています。

昭和以降で死者・行方不明者が1000人を超えた台風
つまり、二百十日は「台風シーズンが始まる頃」にあたり、現代においても台風への警戒を呼びかけるタイミングとしては適切であるといえるでしょう。
防災の日も重なる時期 自然災害への備えを忘れずに
防災の日は、関東大震災が発生した日であることに由来しています。当時は、北陸付近にある台風の影響で、関東でも風が強い状態になっていました。地震の直後に発生した火事が強い風によって延焼したことで、被害が拡大したと言われています。
加えて、二百十日と同様に、台風シーズンを迎える時期であることも、防災の日制定の背景になっています。
このように、二百十日の頃は、風や台風、地震など自然災害との関わりが深い時期です。こうした過去の教訓を思い返すと、日頃からの防災への備えの大切さが、改めて実感できます。
毎年やってくる二百十日、そして防災の日をきっかけに、改めてハザードマップや避難場所、非常用グッズの確認、風水害や地震など、万が一の備えを見直してみてはいかがでしょうか。