冬に収穫するのにどうして「八朔」? ハッサクの歴史と逸話
2017年01月24日
今回はハッサクの歴史や逸話などをご紹介します。
ハッサクの原木を発見したのは、広島県因島にあるお寺の住職
ハッサクが発見されたのは、瀬戸内海に浮かぶ因島
ハッサクという名前がついたのは、明治19年。8月1日を意味する名前となったのには、当時ハッサクが陰暦の8月1日頃から食べられていたことが理由となっています。現在の旬の時期とかなり時期がズレていますが、当時のハッサクはどんな味がしていたのでしょうか。気になりますね。
恵日山浄土寺で発見した柑橘類にハッサクという名前がついてから、恵徳上人はハッサクの苗木を世間に売り出すために試行錯誤をしたようです。というのも、当時人々の間で流行っていた柑橘類は「夏みかん」。ハッサクは夏みかんの人気に隠れて全く注目されていなかったのです。そのため恵徳上人は、ハッサクと夏みかんの苗木を一緒にして売ったり、「この里に生まれ育ち八朔ぞ 味と香りで永久に幸あれ」という歌を書いてPR活動を行っていました。しかしハッサクはなかなか注目されず、ようやく一般に出回るようになったのは終戦後のことでした。ハッサクが一般に流通するようになるまでには、こんなにも長い年月が必要だったのですね。
皮まで食べて健康に!ハッサクの皮に含まれているオーラプテン
皮まで栄養いっぱい!
皮ごと使ったジャムや、ピールなどを作って、健康対策をしてみてはいかがでしょうか。
因島田熊町を彩る「ハッサクロード」
因島へ旅行の際は、目と舌両方でハッサクを楽しんでみてはいかがでしょうか。