さて、ハナショウブもかつてはそう呼ばれた「アヤメ」という名の語源とは。アヤメ(そしてかつてはショウブが)がなぜアヤメといわれるのかがはっきりしないこと。結局これがショウブ科とアヤメ科の取り違えや勘違い、さらには「ハナショウブとアヤメはちがうんだ薀蓄」の原因になっているように思われます。現在よく聞かれる説は次の通りです。
(1)アヤメ属のアヤメの下弁基部の虎斑に網目模様があり、これを「綾目」とした。
(2)ショウブやハナショウブの剣状の葉が折り重なるさまが、美しい綾=条目を織り成しているさま、また「葉に縦理(たてすじ)並行せり。」(大言海)から、文目(あやめ)とついた。
(3)奈良時代の宮中には、大陸から渡来した機織などの技に長じた漢女(あやめ)と称する女官がいて、中でも見目麗しい者をえりすぐり宮中での華やかな行事の進行役(今で言えばイベントコンパニオンでしょうか)となり「菖蒲の蔵人」と呼ばれて憧れの的に。延喜式に記される「大舎人式」では、五月五日、漢女の蔵人が「漢女草(あやめぐさ)を進む」と貴人の各戸を訪問してショウブを配ったとか。ここから、ショウブをアヤメグサと称するように。
花や葉の様子から「綾(文)の目」とする考えと、「漢女」から転じたものとする説。しかし、谷川士清氏は「和訓栞」で『菖蒲は貞観儀式に漢女草と見へたり。本字なるべし。」とし、
「日本語源」(賀茂百機 1943年)では「倭名抄『阿也女久佐』、貞観儀式に『漢女草』と書けるが本字なるべし」と、菖蒲の本字は「漢女草」であり、綾目/文目は間違いであるとしています。また「女」の「め」と「目」の「め」は表記上混同されない法則があり、どうやら「漢女」説が正しいようです。
これらの語源説のどれもが決定的に欠けているのは「ではショウブがアヤメで、やがてその名がアヤメ属に移ったのだとして、それ以前のアヤメ属は何と呼ばれてたの?」という疑問も答えもすっぽり抜け落ちていることです。
東北地方には、アヤメの花を「カッコバナ」「ショードメ」「タウエバナ」などと呼ぶ古い方言がありました。これは田植えの頃の初夏に田んぼの近くでよく見られるアヤメの花を、ちょうどその頃鳴き始めるカッコウや、田植えの女たち「早乙女(さおとめ)」になぞらえた(ショードメはサオトメの訛化)もの。文化の同心円説(中央政府の都市から、同心円状に先進文化が伝播し、遠い地域ほど古い文化が残る)によれば、東北地方のこの呼び名、早乙女(ショードメ)や、また早乙女の別名ともされたカッコウにあやかった郭公花(カッコバナ)こそ、アヤメと呼ばれる以前のアヤメ属の名だったのではないでしょうか。そして、早乙「女」であるからこそ、アヤ「女」という名に置き換えられることもすんなりといったのではないでしょうか。素朴な村娘が、洗練されたイベントコンパニオンに出世した、とでもいえばいいかもしれません。
「アヤメ」という名前もいいですが、「サオトメ」という名もまた、日本の原風景を感じさせてかわいい名前ではないでしょうか。
参考文献
植物の世界 (朝日新聞社)
日本の花 (現代教養文庫 松田修)
参考サイト
アヤメの語源 日本初の稚児尼 である「漢女」(あやめ)に 由来 和泉晃一040122040529水郷佐原あやめパーク「えど友~お江戸の花競べ~堀切に「江戸花菖蒲」のルーツを訪ねる」