今でも仏教や山岳信仰と習合しながら、原始の太陽信仰の名残は存在しています。
畿内地方では彼岸に、朝は東の、昼は南の、夕方は西の寺社を巡り歩く「日の伴」「日迎え日送り」と呼ばれる行事があり、これは原始的な太陽崇拝の名残と考えられます。東日本、関東から福島あたりでは、寺の境内や仏堂の前に天棚(てんだな)を設けて日天・月天の木牌を立て、周囲を回りながら踊る天道念仏があります。天道念仏は五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈念するもので、福島県白河の天道念仏は「さんじもさ踊り」とよばれ、赤く太陽を描いた扇を持って、舞庭の中央に組まれたお棚を回って踊ります。
千葉県印西市武西(むざい)では「称念仏踊」「しょうねえ」とよばれ、1月16日の鉦おこし念仏、1月18日~20日の寒念仏、2月15日の天道念仏、3月・9月の彼岸念仏、6月10日前後の虫送り念仏、8月13~16日の棚念仏・施餓鬼念仏、9月10日前後の荒除け念仏などが延々と行われ、太陽信仰の原型をうかがうことができます。
また、天道念仏の盛んな地域では、旧正月前後に関西ではオコナイ、関東ではオビシャとよばれる行事も盛んです。
オコナイは豊作祈念行事のことで、その年の頭屋(とうや/村社の年回りの持ち回り当番)の家で鏡餅づくりや茅の輪くぐり、丸い的に矢を射るなどの行事を行います。関東のオビシャは、三本足の烏(ときに三つ目の兎)を描いた的を弓で射る、地域の鎮守の森で行われる豊作祈念行事。烏の絵の場合「カラスビシャ」とも呼ばれ、利根川流域、特に千葉県では盛んに行われています。これは、道教の思想に見られる太陽に住むという八咫烏を的にしたものですが、つまり太陽の目に見立てた烏の目を射抜くことにより、その年の太陽の恵みをゲットするという願掛け。太陽なのに蛇じゃなくて烏じゃないか、といわれるかもしれませんが、神社には「鳥居」があります。原型となった朝鮮半島の神域を現すソッテとかチントベキという木標は、木造の鳥を止まらせています。これらの元になった東アジアの古代集落の「鳥竿」(とりざお)祭りには鳥居にかけられるのはやはり注連縄。つまり、「カラスビシャ」で描かれて射られる的は、眷属の烏の姿に描かれていても、的そのものは「蛇の目」なのです。(これらについての話は、いずれ童謡「七つの子」で詳しく述べさせていただきます。)
マヤ族のチチェンイツァの古代都市遺跡にあるマヤ族最高神ククルカン(ケツァルコアトル)を祀るピラミッド神殿、エル・カスティーヨでは、春分と秋分の1年に2回、「ククルカンの降臨」と呼ばれる現象が起きます。ククルカンは何と、羽を持つ蛇の神、つまり鳥であり、ヘヒなのです。マヤ・アステカのピラミッドの特徴である階段状の段々の形状。階段の最下部に地上にふれた場所にはククルカンの頭部がきざまれていて、春分と秋分の日にのみ、側壁にピラミッドの影が投影されて、ぎざぎざしたヘビの胴体の姿が日の光となって浮かび上がって頭像と合接し、空から滑り落ちてくる巨大なヘビの姿となって現れるのです。言うまでもなく、ククルカンも太陽の神です。
「礼記」月令孟春には二月の半ばごろを「蟄虫始振」、落葉の季節の11月ごろを「蟄虫墐戸」とあらわしています。
なぜ秋分を迎えた直後(9月末)に蟄虫坏戸が入れられ、春分前の蟄虫啓戸が入れられているのか。もし蟄虫の「虫」が特に蛇を想定しているのなら、9月末ごろにはまだ冬眠に入るには早く、3月の最初では冬眠から目覚めていません。また他の「虫」、つまり昆虫類や両生類などにしても、やはり9月末に「戸を塞ぐ」=冬眠に入るのはやや早すぎます。七十二候で「虫」に仮託されているのは、太陽そのものの大地、気象、生物に及ぼす作用の盛衰なのではないでしょうか。つまり9月末に太陽はその作用を注ぐことをやめ(杯を返す)、3月はじめにふたたびその戸口をおごそかに「啓く」。それはそのまま農事の一年の始まり・終了の目安でした。
太陽とともに生きる変温動物「虫」たちは、暦上ちょっと無理に眠らされたり起こされたりしているのかもしれませんね。
(参考)
関辺のさんじもさ踊り 武西の六座念仏の称念仏踊 海神の天道念仏