縄文時代の海進期に日本列島はほとんど平地を失い、急峻な山岳地形に流れの速い川が海へと落ち、止水域に生息する淡水系の生物は生息しにくい環境でした。それが縄文期以降、人間が住み着き徐々に土地を開墾し、治水を行い、水田という穏やかな湿地・水域を作り、多くの淡水性の生き物が棲むことのできる環境を整えたのです。
筆者はかつて春を迎えて田んぼに水が張られる時期になると、近所の水田にポンプで水が勢いよくくみ上げられ、みちていく様子を眺めに行きました。待ちかねて鳴き交わす悦ばしげなカエルたちの鳴き声は、祝祭のようでした。
日本のカエルと水耕稲作は、共存共栄、共依存の関係だったのです。自然の生物と人の営み・産業が対立・相克関係にあるのではなく、互いに必要としあう調和関係。
もっとも、昔の人間は現実的でシビア。アカガエルも、あらゆる野生生物と同様人間の餌食となっていました。がまの油、ヒキガエルの干物は漢方薬として有名ですが、アカガエルは「赤蛙丸(あかひきがん)」という名で疳の虫の良薬として江戸時代には行商されていました。また、関西ではアカガエルを串にさして焼いたものが、今の焼き鳥のように気軽な軽食として売られていたのだとか。そんなことができたのは、アカガエルもまたそれだけうじゃうじゃいたからこそですね。
公園の茂みや池などでも見られるアマガエルやアオガエルなどと比べると、水田のある里山まで行かないと見られないアカガエルは現代人にはあまりなじみがないかもしれません。でも、これほど日本人の稲作耕作の歴史と密接に結びついてきたカエルは他にはありません。
食生活も米食から小麦粉や肉の食習慣に変わり、耕作放棄地や休耕田も増え、また農家の高齢化も進んでいます。稲作農業の衰退によるアカガエルのピンチは、そのまま私たち自身の生活・文化のピンチなのかもしれません。
列島の南から、アカガエルの産卵前線現在北上中です。ご近所に田んぼがあればあぜの縁をのぞいてみてください。そして水溜りにアカガエルの卵塊を見つけたら、まだ里山の自然環境が良好な証拠。どうか干上がって死んでしまったりしないよう、見守ってあげてください。
参考:早春に産卵するニホンアカガエルとトウキョウサンショウウオの生息数の変化谷津環境におけるカエル類の個体数密度と環境要因との関係